何度も言いますが、例え相手の初動や心の動きを読んで動いたとしても、
それは「すでに後手」だと言うことです。
「読心術や透視術」など相手のを先に読む事が仮に出来たとしても、それによって
「得た相手の情報を基に自分が動いた」という訳ですから、
それは相手を見るという意識だけ遅れて動いたことになりますから
「後手の動き」になる訳ですね。
こちら側から何かを仕掛けて、「相手の意識や心を動き」を導き出して、
その先を取ることが真の意味での「先を取る」ということだと考えています。
この「先を取る」ということは、「相手に入る」ということとも繋がってくるのですが、
私がまだ若い修業中の頃は「気を切るな!」という言葉で、
意識状態をキープすることの重要性を 教えられていました。
相手と対峙し集中したまま「気を切らない」という状態をキープできるか否か・・
が重要な修行だった訳ですが、この目に見えない内面の修行は、
強固な「自分を信じる力」無しには、頼る手立ては他にはないという状況の中で
「ただひたすら自分を信じて」行動を続けるのみなのです。
しかし今となっては、これが効いてるなと感じてますね。
現代の人は「どうしたらその状態になれますか?」「どうしたら・・?」>と、
こんな質問が先行するのも解りますが、「修行というものは、どうしたら・・」
という答えを、自分で探し出すということでもあるんですよね。
あるビジネスの成功者が話していました「どうしたらその状態になれますか?」
という質問は「どうしたら楽してそれを得れますか?」という質問と同じことで、
自分が自ら努力して それを得ようとする姿勢に欠けるんだと厳しい回答でした。
仮に、「どうしたらその状態を得れるか?」の答えの一部始終を教えられたとしても、
その教えられた人は「その状態は得る」かもしれないが、他のプロセスを学習していない。
と言ってもいいのではないでしょうか?
もっと言えば、単なる棚ボタ狙いの「バカを育てている」ということにもなると思います。m(_ _)m
要するに人生の成功というのは、「どう考えてどう行動して・・」
というプロセスの中に答えがあるということなんですが、
「お金持ち」という結果だけが素晴らしいのではなくて
「どう考えて行動して」お金持ちになったかというプロセスに価値があるのではないかと思います。
生まれつきの天才よりも、どのようなプロセスを踏んで「天才と呼ばれる」までになったか。
これが何倍も何十倍も素晴らしい人生を生きているということではないでしょうか。
途中から少々話が脱線して申し訳ございませんでした。m(_ _)m
まとめます・・
「相手を読んで先を取る」という書き方をすると、
相手の内面や身体の動きを見て先に動くという風に受け取られると思いいますが、
相手を読んで先を取る、の相手を読んでというのは、
相手に入ったり吸収する時期を見計らって、と解釈した方が解りやすいかも知れませんね。
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